人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

早稲田大学川口芸術学校 映像ジャーナリズムゼミ ブログ

kawaguchij.exblog.jp

3年次修了作品「和歌子と紗絵」を終えて 近松温子

 「和歌子と紗絵」という作品は、企画段階ではもっと壮大な作品になる予定でした。私の頭の中では、どんどんイメージばかり膨らんでいきました。  社会に対してももっと言及したかったし、紗絵ちゃんにも会いたかったし、和歌子ちゃんの事も、もっともっと知りたかったです。  でも、取材を重ねる中で、カメラをまわすことが彼女たちにとってどのくらい負担なんだろうとか、元恋人にインタビューに言った時にはいわゆる「おいしい」カットが撮れたと思う反面、「撮ってしまった」という罪悪感にずんと気分が落ち込んだり、ドキュメンタリーを作るという責任の重さや、カメラが持っている攻撃性について自問自答を繰り返して、結果的に想像していたものとは違う、「私と」「和歌子と紗絵」という構成に落ち着きました。  今思い返すと、もう少し踏み込めた部分はたくさんあって、取材の段階で私がすごく遠慮してしまった事がこの作品の反省点であり、特徴にもなっているところだと思います。  解離性同一性障害という病気そのものをテーマにしたら、やはり紗絵ちゃんの姿はもっと見せなければならなかったし、彼女たちの日常生活について、私自身ももっと知らなければならなかった部分が多くあります。この事からもジャーナリズムという観点からいえば、かなりツコッミが甘い作品だと思います。  しかし今回私が目標にしていた一つに、「ドキュメンタリーはグレーだということを表現する」という事がありました。それは、企画の動機の部分にもなっていますが、どんどんわかりやすくなっていく日本の報道に憤りを感じ、人間の感情やその周りで起こる事はそんな分かりやすい二択クイズじゃないんだ!とヤキモキしていた事がきっかけです。その点で言えば、舞台のVTRや、インサートに心象風景的に写真を使ったり、紗絵ちゃんへの質問もかなり抽象的な内容にしてみたりと、自分が今まで影響を受けてきた作品からいろんな手法を真似して、満足いく実験ができた作品です。



 制作の途中段階で彼女に作品を見せてしまった事は大きな反省の一つで、結果的にその事で夏休みに取材ができなかった事は大きな痛手になりました。  その期間に感じたのは、ドキュメンタリーを撮るという行為は、映像を扱っているんじゃなくて、人生だったり心だったりそういうデリケートなものを扱っているんだという事です。文字にすると本当に当たり前の事ですが、学校にいると、「映像」の勉強をしているという錯覚をしてしまっていて、一人で取材対象者と向き合っている時間は「映像の勉強」の時間ではないということを忘れないでいないと、と強く思いました。  そしてもう一つ、学校にずっといると忘れてしまうのが、「何のために、誰のために作っているのか」ということです。上映会をやって、大きなスクリーンとお客さんを舞台から見た時に、「制作中、この作品を見るお客さんの顔を何回想像しただろうか」と思いました。  撮ってきて、先生とゼミのメンバーに見せて、ダメ出しをもらって、その様に直して・・・というルーティーンワークで、いつの間にか先生と友達に見せるために作っていたような気がします。その中で、楽をしたり、これくらいで良いかーと、しなくてもいい妥協をしたり、そんな自分が思い出されて上映中はすごく恥ずかしい気持ちでした。プロではないけれど、全く知らない誰かの視点はすごく大切で、知らない誰かに作品を見せるという責任の重さから逃げてはいけないと、上映会が終わった今、切に感じます。もう一年チャンスがあって本当に良かったです。 私がこの一年間を通じて感じた「ドキュメンタリー」とは、日常から物語を絶対化する、ということです。それぞれの人生には、大スペクタクルから、些細な出来事まで、日常の中に様々な物語が隠れていて、その中から制作者が普遍的なメッセージを抽出していく作業が、ドキュメンタリーの制作といえるのではないかと思います。(逆に劇映画は、物語を日常の中に融和させていく作業なんじゃないか、と今は考えています。)  「和歌子と紗絵」という作品では、私は彼女たちの日常まで入っていく事ができませんでした。そこがもう一歩、この作品の弱い部分だと思います。  次の作品は、自分のふるさとを被写体にして、見てくれた人が自分のなかにある「ふるさと」を意識できるような、想像する余白を残した作品に仕上げたいなと思っています。そのために必要なのはきっと、今回撮れなかった「日常」の風景です。  どうしても作品を作っていると、奇抜な、非日常の風景を撮りたがってしまいますが、そうではなくて日常の中に入り込んでしまっている問題だったり、矛盾だったり、ややもすると見逃してしまいそうなささやかな出来事から物語を抽出できる作り手になりたいと、一年の制作を終えて思っています。  最後に、制作中は先生方やゼミのメンバーに本当に励まされました。何か言葉をもらうわけではないけれど、みんなの頑張っている姿が一番の刺激だったし、先生方からのコメントは迷った時に本当に何度も見返しました。ジャーナリズムゼミは個人制作と思っていましたが、そんな事はなくて、この作品は一人だったら途中で辛くなってやめていたかもしれないけど、みんなで刺激し合えたからこそ諦めずに完成できたと思います。来年度は、今年以上に頑張ってみんなを引っ張れるような作品を作りたいです。
by kjournalism | 2010-02-15 20:26
<< 第6期 小学校プロジェクト  ... 小学校プロジェクト《制作最終回》 >>